2010年09月09日

『MORSE ―モールス』感想:★★☆☆☆


MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)
MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)ヨン・アイヴィデ リンドクヴィスト John Ajvide Lindqvist

早川書房 2009-12-30
売り上げランキング : 4931

おすすめ平均 star
starこのあとどうなるのか
star「スタンド・バイ・ミー」の吸血鬼版
starジュヌヴィエーヴには負ける

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



 吸血鬼物は好きですか? 私は大好きです。と言いますか、吸血鬼に限らず、「人間の形をした人間ではないモノ」が好きなのです。
 何せ彼らは常識からの逸脱が許されているのですから。どれだけ普通の人間から離れていても問題視されることはありません。だって「人間じゃない」んだもの。違うのは当然です。
 普段から常識がないことを指弾されがちな私としては、そんな許された彼らが羨ましくて仕方がないのです。
 しかし、そんな「人間の形をした人間ではないモノ」である吸血鬼ですが、彼らは生きていくために生き血を必要とします。つまり人間の常識から解き放たれている筈の彼らは、人間の近くで生きていくために人間の振りをしなくてはならないのですね。
 そして場合の多くにおいて、彼らは元人間です。人間であった頃の記憶を有し、その昔を懐かしく思い返したりもします。

 人間から逸脱した存在でありながら、人間の振りをして暮らし、人間生活を懐かしく愛おしく思う。そんな矛盾を抱えた吸血鬼というファンタジーがとても好きです。
 が、やっぱり個人的には吸血鬼には人間から抜け出した「人間の形をした人間ではないモノ」として超然としていて頂きたいのです。それが私の趣味です。
 そんな前置きを披露した上で、今回の『MORSE ―モールス』感想へ。

「いっとくけど、友達にはなれないよ」(上巻p.66)


 私がこの本を読もうと思ったのは以前にも書いた通り、これを原作とする映画を褒めている新聞記事を読んだのと、その時にちょうどAmazonで買い物をしたから。深く考えずにポチッとついで買いしてしまった訳です。
 届いた後に表紙を見て最初に思ったのは、「表紙ビミョー、てか何これ?」
 そして「タイトルの『モールス』って何だ? もしやモールス信号のモールス? ……地味すぎんだろ」
 さらに、帯に踊る「スウェーデンのスティーブン・キング」の文字に、「スウェーデンってアンタ、それだとキングが各国に1人いるみたいじゃん。そんなにいっぱいいたらキングの価値がデフレっちゃうよ。もっとこう『キングの後継者』(これだとキングが過去の人みたい)とか、『キングを越える才能現る』(越えたのか?)とか何とか他に言いようがあったんじゃ」と思い、つまり「もう駄目かも分からんね」との予感を抱いた。
 
 
 読む前から随分げんなりしていたのだけれど、読んでみたら、まぁ、面白くないこともなかったですよ。
 この言い方に現れている通り、以下は苦めの感想。しかも無駄に長い。
 盛大なるネタバレ状態でお送り致しますので、ご注意ください。
「きみが愛してくれるのは、わたしが生き延びる手伝いをするからだ」
「そうだよ。愛ってそういうものじゃない?」
(上巻p.85)


 ある日、いじめられっ子の少年オスカルが住むマンションの隣に美しい少女エリが引っ越して来た。
 エリのしゃべり方は古風だし、ルービックキューブも知らないと言う。それにとても不潔だ。どう考えても普通じゃない。
 オスカルはそうは思うものの、彼女と出会ったことで勇気を得る。彼女に見せても恥ずかしくない生活を手に入れたいと願うようになったのだ。
 時を同じくして、恐るべき犯罪が新聞を賑わした。
 オスカルの住むブラックベリからそう遠くない場所で、少年が殺されたのだ。それも奇妙な方法で。再度の犯行が囁かれる中、実際に犯人は次なる犯行を企て、そして……。

 
 と、勝手に簡単なあらすじを書いてみた。
 「美しく謎めいた少女」ってだけで予想される通り、エリこそは吸血鬼であり、彼女の父親(という設定になっているだけで実際は単なる協力者)のホーカンが恐るべき殺人鬼であります。
 上のあらすじには書けなかったが、この物語、登場人物が矢鱈に多い。
 オスカルを虐めるいじめっ子3人に、同級生。オスカルの隣人のやや年上の少年トンミにその友人2人。トンミの母親イヴォンヌに、その恋人の警官スタファン。オスカルと同じマンションに暮らすアルコール依存症気味の中年男ラッケ、その恋人ヴィルギニア、さらにアル中仲間のモルガン、ラリー、ヨッケ、イェースタ。イェースタは猫狂いで、彼の住む部屋は猫屋敷と化しており云々……と、本当に物語を構成するパーツが多いこと多いこと。

 ただ、この数多あるパーツはそれぞれに関連性があり、また必然性がある。最初は「登場人物多すぎ、しかもスウェーデン人の名前なんて馴染みがなさすぎて覚えられない」とブーたれていた私も、パーツの関連性・必然性が明らかになるにつれて楽しくなってくる。「このパーツはどこに入るのか?」とワクワクする。
 そして私はここで期待し始めた。このパーツ1つ1つは小川のような物で、最後は全部が合流し大きなうねりになるのだろう、と。
 実際は……、えぇっと、「期待して川沿いに走り続けた結果、気がついたら海に出ちゃってました。つまり川終わってました」みたいな。
 まぁ私が勝手に期待したのが悪いと言えばそれまでなんですけれど、でも作者に数えるのも嫌になる程のパーツそれぞれを組み合わせるなんて凄腕を見ただけに、こんな「気がついたら海でした」的な全体図になっちゃったのか残念でならない。


 全体の構成以前にも、この物語のコンセプト自体がよく分からない。
 オスカルとエリが出会うくだりから私はてっきりボーイ・ミーツ・ガールな少年の成長物語かと期待し、そして「吸血鬼物」とオスカルのオカルト的な趣味から『ダレン・シャン』を想像(まぁオスカルは吸血鬼じゃないけど)してしまったせいで、自業自得とは言え自分自身で選択を下し、歯を食いしばって大きな代償を支払ったダレンに比してオスカルは一体何を選択し、何を支払ったのだろうと思えてならない。
 彼はラストのプールの場面において、何一つ自分で選択してすらいない。彼は己の犯した罪と対面もしていなければ、当然償ってもいない。その罪の結果としてプールの場面が来るはずなのに、これではオスカルに復讐を企てるいじめっ子とその兄貴が報われず(どう見てもやりすぎだけどね)、しかもその窮地からオスカルは超越者たるエリの手によって救われるのだ。ついでに言うと、エリはこの構図を理解していない。
 選ばれし男、オスカルかよ。納得出来ません。









 対してエリ。オスカルに成長物語を期待したように、エリには吸血鬼物語を期待した。
 子供吸血鬼って設定は好きだ。経験に裏打ちされた知性と若さの両立しない2つを兼ね併せる、矛盾に満ちた存在だ。子供はモンスターだとはよく言うが、子供吸血鬼は正真正銘のモンスターである。
 ここで私が連想したのは『屍鬼』の沙子である。永遠の子供である彼女は、子供(=自分)を保護してくれる家族を求め、そして家族の拡大形である「吸血鬼である私を排除しない」社会を夢見る。そこにあるのは拭いきれない人間臭さと子供っぽさではあるが、しかし彼女には確固たる信念がある。
 比べてエリはどうなのかと言うと、どうなのよコレ。彼女は何が欲しいのさ? それが明らかになるのだと信じて読んでいたのに、私には結局分からないままだ。
 長い生を生き続けて来た以上、また、これからも生きていくのなら、信念がないとやってられないと思うんだけれども。その点エリのふわふわさ加減は映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で私を苛立たせたルイのポジションに通じる物があるが、しかしルイには人間の協力者などいなかった。煮え切らないにせよ、ルイはルイとして少なくとも「吸血鬼」である自分を認識し、人間と距離を置いているのだ。
 吸血鬼としての確固たる信念もなく、協力者ホーカンを使役し、オスカルに己の可哀相な過去を見せるエリ。吸血鬼に人間から抜け出した「人間の形をした人間ではないモノ」として超然さを要求する私の趣味には合わない。
 それに単純に捕食者としてすら、エリがお粗末なのはあり得ない。今までどうやって生きて来たんだろうか。吸血鬼が増えることを嫌っているのに、感染防止に何度も失敗するってどういうことなんだ。今まで完全に人間の協力者頼みだったってことか?
 下巻で明らかになるエリの正体も必要性が分からない。同性愛は吸血鬼物のお約束とは言え、今回はあくまでボーイ・ミーツ・ガールであって欲しかった。
 
 さらに文句を書き連ねて恐縮だが、作中でなされる「吸血鬼とはどんな生物なのか」の説明も気にくわない。
 今作の定義によると、吸血鬼に感染した犠牲者には「吸血鬼の本能」的な物が心臓に寄生する(心臓に一種の脳が出来る)仕組みだ。犠牲者はいわば宿主であり、宿主が死亡した場合その寄生者に全てを乗っ取られる。死亡しなくとも、寄生者の意志に引き摺られるようになる。
 いつか『奇跡体験! アンビリーバボー』か何かで「心臓には記憶細胞があり、心臓移植を受けたドナーは元の心臓の持ち主の記憶を得る」とか聞いた気がするが、もしやそれが元ネタ? と、とりあえず、そんな風味付けは嫌だ。『ブラックロッド』シリーズの「吸血鬼は心臓が全てだよ」や、『屍鬼』の「この変質した血が力の源だ」説のが好みだ。
 まぁ、そもそもの問題として、ファンタジーでしかない吸血鬼の生物性を真面目に説明すること自体が結構リスキーだとも思うのだけど。


 結果として文句ばかりを書いてしまったが、本作を駄作だとは思わない。「吸血鬼は招かれないと家の中に入れない」なんて無視されがちな吸血鬼のお決まりをキッチリ守っていたり、見た目は大人中身は子供のエリが純然たる子供であるオスカルに惹かれる姿に、エリが本当の子供になってしまうのではないかと不安を抱くホーカンの描写なんかは好きだしね。全体的に「惜しい」。
 構成の腕前は素晴らしいので、まぁ今後に期待。
 でも私が文句を言った部分はほぼ作家性に関わる問題であるからして、結局は「美味しいけど、私の趣味には合わない」って状態になるオチが見えるような気がしなくもないけれど。
 それと気に喰わなかった『モールス』とのタイトルは翻訳者が決めたみたいだ。原作は"Låt den rätte komma in"、英語版では"Let the Right One In"で「正しき者を入れたもう」の意味だそうで。
 ……って、えーっと、もしやタイトルが指しているのはラストのプールの場面だったりするのでしょうか。それなら駄目だわ、本格的にこの作家と趣味が合わない。


「愛してるよ」
「嘘だ」
「愛してるよ。ある意味では」
「そんな愛などあるものか。愛しているかいないかだ」
「ほんと?」
「そうとも」
「だったら、よく考えてみなくちゃ」
(上巻p.102)


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い





 どうでも良い話。
 この本はAmazonで買ったせいでブックカバーがないので、仕方なく表紙外して読んでいた。ら、読んでいる間に外して放置していた表紙を捨てられてしまった。
 以前に「(勉強関連の本は)表紙あると勉強している間にずれたりしてウザイから要らない」と私が発言したのを聞いていた母親が「全部の本の表紙は要らない」と解釈したらしい。なのでわざわざ机の上に置いておいた表紙まで捨てて下さった。
 私にとって勉強用の参考書と読み物の本は全くの別物だったのだが、母にとっては全部「本」だったようで。か、悲しい。
 表紙だけ誰か売ってくれたりしないだろうか。まぁ、しないよな。だいぶ、しょんぼり。
posted by 春色 at 01:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。